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2014/12/28

フレーズのクリッピングとか粗筋を語る能力がない話

201412281757

ふっゆやっすみー!ってノリは社会人として間違ってますね。
それはさておき、カレンダーのお陰で、よくも悪くもそこそこ長めな年末年始休業期間に突入しました。どうせひっそりと、普段出来ないタスクなどはちょこちょこやってるとは思うんですけどね、それでも少なくとも公的には「本日閉店」を掲げる期間て感じでしょうかね。

とはいえ、休業期間に入った途端に配偶者は熱を出し、おいら自身も先週の風邪の予後が相変わらず微妙な様子なので、想定以上に無為な日々を開始してしまっております。よろしくないですね。いずれにしたって何の計画もなかったのでアレですが。

休み云々とは取り立てて関係もないのですが、最近は久しぶりに、少しだけ学習意欲と読書欲が増してる気がします。
増したところで精神的にも性格的にも、それにガッツリ優先順位を上げたいかというとそうでもないのがクセモノです。ですが、コツコツと生活に組み込んでいくのにはよい機会かも。

しかし本を読んでる際に、心なりメモなり、ナニカに留めておきたいような、ちょっと気になったフレーズがあった時ってどうすればいいんだろう。一人で読んでる本なら付箋でいいのか。

がしかし、今読んでる本は、付箋大王の配偶者の読了後、その付箋まみれの状態で読んでるので、自分の付箋を付けるとナニがナニやらになってしまうんだな。でもまぁ、同じ本を読むケースの方がレアだからしょうがないか。そういった時用のソリューションがあったらいいんだけどな。

いずれにしても、件の本に限っては、既に4/5程度読み進んでるので、気になってたフレーズの大半もとうの昔に流れ去ってるし、あの本の文中で心にひっかかりかけた言葉たちとへご縁がなかったのだと思おう。

…とつらつら下記ながらふと、「はて、おいらは読んだ本のフレーズなんてクリップしたがる人だったかしら」という疑問に行き当たる。

本に限らず、映画も音楽も、味わうのは大好きな割に、どれも意外と、握力弱く受け止めて、容易に記憶からサラサラと漏れ落ちるがままにするタイプだ。なので次から次へと眺めるものの、悉く記憶にも心の底にも定着していないコトが多い。

ああ、思い出した。定着していない、コトを論(あげつら)ってみたものの、定着しない原因についても、つい先日ふと疑問を抱いてたんだった。

音楽…はちょっと別軸なので置いておくが、映画や小説(うーん、小説以外の本もかな)のように物語なりテーマと筋道なりがあるコンテンツに関しては、進行形で観てる時はしっかり理解してるし、場面に応じて、喜怒哀楽プラスアルファな(恐らく作り手が意図してる通りの)感情の喚起もある。

なのに、劇場を出た途端、読み終わって本を閉じた途端に、今見たものについて第三者に説明をしようとすると、もうそれが出来なくなってるのだ。

一緒に観た人や、同じものを既に観た人、つまり、同じ体験を共有出来る人たちとの感想の共有・交換はそれなりに出来るので、やっぱり理解が出来ていないわけではない。

ただ、同じ体験のない人に対して、粗筋なり概要なりを説明するコトが全く出来ないのだ。そうそう、夢とかもそう。すごい面白い夢を見て、誰かに伝えたいのに、伝え始めて尻すぼみで、聞き手共々どんより。ああ、小学生の頃のあるあるだ。まともに説明出来なくてすごくフラストレーションなんだよね。

これは何の能力が欠けているんだろうか。明らかに何かが欠損してる気がする。

現実であれ仮想空間であれ、具体的に起きたコトの筋道を追って、咀嚼して、纏める力がないのかな。

うーん、なんだろう、ありのままをありのまま伝えればいいだけなようにも思うのに。纏め能力がないのか?どこを省略して、どこを残すかの選択が出来ない?ああ、それはあるかもしれない?

まぁいいや。考え事のお題自体がどんどん変化してってて全く纏まらないけど、もうご飯の時間だし、気が向いたらまた掘り下げることにしよう。